インフルエンザになったら病院に行く、病院だったら何とかしてくれる……それを”当たり前”だと思っていませんか?実際はそうではありません。
世界には適切な医療サービスを享受できない人がたくさんいます。
頭ではわかっていても実感がわかない…私を含め多くの人が同じ感想を抱くのではないでしょうか。
4回目のゲストは、秋田大学医学部医学科4年の宮地貴士さん。
2017年3月からザンビアブリッジのメンバーと共に、まだ十分な医療環境がないザンビア共和国のマケニ村で診療所を建設しようと奮闘しています。
宮地さんは2019年度から秋田大学を休学し、同年6月から2020年2月にかけて現地に滞在しながら本格的に診療所建設に取り掛かります。
日本での活動が佳境に差し掛かる現在、これまでの道のりや今後について、そして秋田で動き出そうとしている人たちへのメッセージを伺いました。
書き手:関山大樹
カメラマン:遠藤大暉
これまでの歩みとインターンシップという大きな転機
ーー現在は秋田大学の医学部に在学していますが、そもそも医学の道に興味を持ったきっかけはなんですか?
宮地さん:医者に興味を持ったのは中学の時、東日本大震災を機にテレビで知った”国境なき医師団”がきっかけです。
それ以前は教師とか宇宙飛行士とか…なりたいものは多かったんですけど、なんとなく人の役には立ちたいなと思ってはいました。そんな中で彼(女)らを知れたことは大きかったです。
ーー医者と国際貢献に興味を持ったきっかけは同時だった、ということですか?
宮地さん:そうですね。そのころはまだ興味に過ぎませんでした。
本格的に目指そうと思ったのは高校2年生のときに、スーダンで活動する川原尚行(かわはら・なおゆき)さんを知ったことです。
川原さんはロシナンテスという団体(認定 NGO)で現地医療に従事している方で、活動を画面越しに見て自分もこうなりたいと思いました。そしてその時に医者になることを決意しました。
同時に川原さんの「病の背景を治療する」という考え方には感銘を受け、これは今現在も自分の目指すところですね。
ーー「病の背景を治療する」とは具体的にどのようなものでしょうか?
宮地さん:病になる理由そのものを治療する。例えばそれが予防に関する教育や啓蒙活動、コレラだったら下水道の整備についての重要性を伝えていく、といったことですね。
治療を単に病気にかかった人に行うものではなく、もっと広義にととらえる。これまで医者は病気を治療するだけの存在だと思っていたんですが、この考え方を初めて知って、自分の中で医者の可能性が広がった気がしました。
ーー現在の活動(ザンビア)に通じてくる大きな転機の様なものがあったら教えてください。
宮地さん:大学2年生の7月末から2週間、スーダンの川原先生のもとへインターンに行ったことです。
SNSで連絡したら返事が返ってきて、会ったこともない自分のお願いを快諾してくださいました。
ーー憧れの人への思いが通じて実現したインターン。参加してみてどうでしたか?
宮地さん:現地での活動を通じて、「真の幸せや豊かさとは何か」についても考える機会がありました。
異なる価値観同士を尊重し合う。そして支援のあり方、具体的に言うと村人たち自身がシステムを回していくことが大事という点にも実感を伴って気づかされたように思います。
活動を通じて、自分の理想とする川原先生の人間味あふれる姿を間近で見ることができたことは大きかったです。
加えて 、これまで抱えていた自身のもやもやを吐露したり、いろいろお話をさせていただく中で、自分のやるべきこと、そして方向性が固まりました。
支援とは?ザンビアブリッジの立ち上げと葛藤の日々
ーーインターン以降、どういった経緯でザンビアでの活動について知ったのですか?
宮地さん:インターンが終わって少ししてから自身も所属する IFMSA(国際医学生連盟)の、AVP(Africa Village Progect)へザンビアから診療所建設の要請がきたことです。しばらく考え、11月に現地視察員に立候補しました。渡航の決断に際してインターンの経験は大きかったと思います。
ちなみにこのころはまだ支援とかそういうのは全然頭にありませんでした。
ーー翌年(2017年3月)にザンビアに行った際は何を感じましたか?
宮地さん:かなり衝撃を受けました。日本では当たり前の医療サービスを享受できない人たちが多くて。
マケニ村というところに行ったのですが、妊婦さんは出産のために助産師がいるところまで大きなお腹を抱えながら4時間も歩く必要があったり、熱が出た人は家でただ耐えるしかない。
自分にできることは限られているかもしれないけど、なんとかしなきゃいけないという気持ちが芽生えました。
ーーザンビアブリッジの立ち上げを決意したのはその経験もあってとのことですか?
宮地さん:そうです。1回目の渡航(2017年3月)の際に受けた衝撃もあって、現地の診療所建設に携わりたいと強く思いました。帰国後にザンビアブリッジを立ち上げ、プロジェクトメンバーと正式に支援することを決めたのは同年の3月末です。
ただ(診療場を)作り、与えるという上から目線な感じではなく、村人の活動を支えていき、彼ら自身でシステムを作り上げ、回していくような。そんな風にできたらいいなと思っていました。
ーー支援活動を通じて感じた課題のようなものは?
宮地さん:支援活動を通じてこちらからの一方向のコミュニケーションばかりで、双方向になっていないと感じていました。
つまり、現地が置き去りになっているように感じたんです。
大学での授業の都合もあって1年中向こうにいるわけにもいきません。
一度現地を離れ(2018年3月)、日本で活動し、久しぶりに現地に戻る(3回目の訪問、2018年9月)と何も進んでいない。結局はこちら側のただのやっている気になってしまっていたのかと悩みました。
現地では自分たちとの認識の乖離もあって、罵倒されることもありました。泣きそうになりながら「誰のための活動か!」っていう言葉を漏らしそうになることもありましたけど、さすがにそれは必死にこらえました。
ーー”支援”という文脈で現地と関わることに壁を感じる…ということでしょうか?
宮地さん:そうです。1回目の訪問の後に掲げた「ボトムアップ型の医療」を構築するにはどうしたらよいのか、すなわち現地主導でプロジェクトを進めていくとはどういうことかという問いを再考し、専門家を招いたディスカッションなどを通じて解決策を模索していました。
ーーそんな模索の最中、ミュージカル(A COMMON BEAT)に出演(2018年7月)していましたよね。
宮地さん:きっかけは知り合いに誘われた飲み会の場でミュージカルの関係者と出会ったことでした。
ミュージカルには単なる表現という枠を超えて「双方向のコミュニケーションはどうすればうまくいくのか?」という課題の解決につながる何かヒントのようなものが隠されているのでは?と思うようになりました。
ーー音楽は理屈や言葉を超えて心の底の部分でつながることができるという意味でしょうか?
宮地さん:それもありますね。それと「多様な考えを持つ人たちと、ひとつの目標に向かって一緒に歩む過程で、自然と互いの個性を認めあう方法を育み合う」というCOMMON BEATの考え方にも何か感じるものがありました。
ーー演者として参加する過程でそれまで抱えていたもやもやは解決されましたか?
宮地さん:まだ答えは出ていないんですけど、双方向のコミュニケーションについて考える良い機会でした。ここで得た感覚を現地での活動にうまく混ぜていけたら良いなと思っています。
「病院のいらない世界」を目指して
ーー2019年は大学を休学し、現地で診療所の建設に向けて活動していくと伺っています。そこでの展望を教えてください。
宮地さん:次回の滞在(2019年6月~2020年2月)での目標は診療所を完成させ、村人に運営を譲渡することです。診療所等の建設費は全部で約730万円必要です。
本当は僕たちが担当するのは300万円程度で良かったのですが、2018年3月(2回目の渡航の際)に別のNGO団体が負担金を捻出できなくなってしまった関係で、結局ザンビアブリッジで520万円を負担しなくてはならなくなりました。
現在は、クラウドファンディングやそのほかの寄付金、お好み焼きや工芸品販売の売り上げ、2018年12月の日本学生支援機構優秀学生顕彰(大賞)の時にいただいた奨励金などを合わせて約400万円あるので、今は残りの120万円を集めています。
他の約210万円は現地の村人・保健省・議員が負担することになっています。
なんとか診療所を完成させ、現地の人に譲渡するところまで行けたら理想です。
ーーなるほど。ちなみに譲渡後については今どう考えていますか?
宮地さん:今活動しているマケニ村以外にも、診療所等が人々の居住区より遠い場所にある地域はたくさんあります。そういった地域ではマケニ村とまったく同じ支援方法では問題解決ともいかないと思います。
なので他の地域での医療はどうすべきなのか、といった新たな課題を見つけ、検討したいです。
これはかねてから自分たちがやりたかったことでもあります。
ーー具体的なアプローチの方法はどのように考えていますか?
宮地さん:まだ構想段階なのですが、モバイルアプリでの遠隔診療ができないかと考えています。例えば、体温や自分の症状を打ち込んだら適切な薬を選択してくれて、実際に診療所に行くと、あとは渡してもらうだけといったサービスですね。
このアイデアは、実際にザンビアのエンジニアにも連絡済みでして、支援ではなく現地の人と事業を起こすという気持ちです。
日本(主に秋田)に来ているザンビア人の留学生と接しているとても優秀なので、実現できる可能性は高いと考えています。
まだまだ先の構想なんですけれど。
ーー宮地さんの最終的な目標(理想)は何ですか?
宮地さん:「病院のいらない世界」です。
ほんとまだまだ夢のような話なんですけどね(笑)
病の背景を治療するに通じてくるのですが、self-medication(自己医療)の意識を定着させたいんです。そうですね…うまく言えないんですけど、病気にかからなければそもそも病院はいらないわけじゃないですか。
一人一人の意識が向上し、予防を心掛けるだけで防げる病はたくさんあります。病院はあくまでそれを補完してくれるものになると言えます。
遠隔診療やモバイルアプリといった考え方は、この世界の実現へのアプローチの一端にすぎないと思っています。
ーー「住民主体の医療」、そして「健康的な地域づくり」というイメージでしょうか?日本の医療の未来にも通じてくるような気もします。
宮地さん:その通りで、ザンビアでの活動を通じて実感として気がついたのですが、それらの実現がマケニ村で成功すれば、ほかの地域、日本でも特に医療過疎地にとって良いモデルケースになると考えています。
ーー確かに、一人一人の意識向上が肝要ですね。
宮地さん:そうですね。妊婦さんや病人以外は病院建設は他人事…そもそも病院建設のことを知らなかったという人は現地にたくさんいます。
そういう人たちに他人事を自分事に感じてもらえるようになることが最初の1歩になると思っています。
この活動をきっかけをザンビアからモデルケースを作りたいです。これは夢なんですけどね(笑)
秋田は熱量が伝播しやすい場所
ーー秋田について伺いたいです。東京から秋田に来て、実際どう感じましたか?
宮地さん:秋田は熱量が伝播しやすいところだと思います。自分自身そう感じていて。
それと突き抜けた人は捕まりやすい場所でもあると思っています。東京とかでは確実に埋もれてしまうようなことでも、秋田だとすぐ同じ熱量を持った人やメディアの目に留まる。
だから、何かやろうってときは秋田サイコーだと思いますけどね(笑)
ーー何かしたいけどなかなかできない。宮地さんも川原医師のもとへインターンに行くまではそうだったんですか?
宮地さん:そうですね。僕の場合は、ロシナンテスへのインターンが大きな転機でした。
それまではなんかこうしたい!というぼやっとした想いはあったのですが、まず自身が具体的にやりたいことが分からないというのがあり、最初の1年くらいは周囲に流されてる自分がいました。
だから、しばらくは人の紹介などでいろんな交流の場に参加したり、語学留学に行ったり、と多くに手を出していました。やりたいことややるべきことについて模索していましたね。
ーーそういう時期には何をするべきだと思いますか?
宮地さん:「尊敬できる先輩に甘える」ことだと思います。
僕の場合、その人はある医学部の先輩でした。活動内容・範囲がとても広い人で、いろんな場や人を紹介してくれたりしたのは大きかったです。
そういう人を見つけるって意味でも所属するコミュニティを広げてみることは大事だと思います。
ーー所属するコミュニティを広げることで選択肢を増やしていくというわけですね。
宮地さん:自分がなにか行動をしようとする場合は、どうしても所属しているコミュニティに左右されがちじゃないですか。
大学だとサークル、仲の良い友達グループ、アルバイト先、研究室などでしょうか。
だから自分のいる世界から思い切って1歩外に踏み出してみる。
そうすることでまた違った世界が見えてきて、物事を多角的にとらえられるようになると思います。自分自身がそうでしたから。